木が育つまでの40年間、手を入れ続けるのは並大抵じゃない。

それでもこの仕事を魅力的だと思ってくれる人がいれば

必ず40年後に木は売れると信じています。

山に抱かれ、山に生きる。紐解かれる山師のリアル。

山師の暮らし。山師とはどんな仕事をしているのか。後継者不足が叫ばれる中で、彼らはどんなことを考え、どんな将来を描いているのか。この連載では、四方を山々に囲まれた渡川にとって、切っても切れない関係にある山師の日々を追う。

冬の朝、6時。しらじらと夜が明けてゆく中、黒木ひろひこさんの白い軽トラが車体を揺らしながら山道を駆けていく。道は何とか1台が通れるほどしか幅がなく、凹凸も激しい。

同乗させていただいた今西正さんの車も時折り上下に大きく揺れる。「この辺りの道は作業用の道路なんですよ。昔の山師たちは、鎌を片手に歩いて入っていたと聞いています。今はこうして車で入れるだけ恵まれていますよね」と今西さん。

木々の間を抜け、開けた視界に広がるのは朝日が滲む山々。気がつけば結構な高さまで登っていることがわかり、大きく揺れるたびに脱輪でもしやしないかとドキドキしてしまう。山ビギナーの小さな肝は間違いなく試されている。

この日は、黒木さんと今西さんに付いて、除伐という作業に同行した。除伐とは、育成しようとする樹木以外の雑木や草を除く作業のこと。

場所は黒木さんが所有しているという山林で、現場は12町(ちょう)の広さがあるという。1町は約1ヘクタール。東京ドームが約5ヘクタールなので、現場は東京ドーム2個以上の広さがあることになる。これを2〜3人で少しずつ除伐していくそうだが、大半が急な斜面のところを、チェーンソーを担いで雑木を掻き分けながら移動するだけでも想像以上にハードである。

「ぼくもこの仕事を始めた当初は体力が追いつきませんでした。今日はまだマシな方ですが、日によってはこの時期はもっと寒いですし、木が小さい場所だと木陰もないので、夏は直射日光を浴びながらの作業になります。崖のキワで作業をすることもあったりして、油断したら危ないですね」と今西さん。姿の見えなくなった黒木さんが斜面の奥から響かせるチェーンソーの音を聞きながら、山師のタフさをただただ感じるばかりである。

黒木さんは、山師として40年のキャリアを持つベテラン。「始めた頃は山の景気が良かった時代で、スギを1ヘクタール植えておけば1,000万円になるって言われていました。

時が経って、その時に植えられた木が伐期を迎えているんですが、価格は昔より下がっています。以前は田舎なら食べ物さえあれば生活していけましたが、最近は田舎でも都会並みの生活になっているので、かかるお金も増えてえらいことです」と笑う黒木さん。

実家では昔から米や椎茸づくりなどの農業も行っていて、山師の仕事と並行して今も続けているとのこと。今西さんによると、黒木さんが釜で炒る「釜炒り茶」は渡川で他に例がなく、評判だという。

兼業で生活をやりくりしながら山を守り続けている黒木さん。今から植林する木は、伐期を迎えるまでに約40年かかる。今後は子どもの数が減り、他の職業とも人材の争奪戦になる。そんな状況で、山を次の世代にどう受け継いでいくのだろうか。黒木さんにたずねると、こんな答えが返ってきた。

「40年経ったら売れるぞ!と言われても、40年間は今日みたいな手入れが必要だし、コストもかかる。普通はひるみますよね。それでも、この仕事を魅力的だと思ってくれる人がいれば、必ず40年後に木は売れると信じています。20歳の子に魅力を説いても伝わりにくいでしょうが、この仕事は年配になってからでも始めていい。実際にうちの班には、50代の人が新たに入ってくれることになりました。そうやって時代に合わせながらやっていこうと思いますね。魅力を感じてもらうには、いきなり山師の仕事をしてもらうんじゃなくて、まずは近いところで面白そうな仕事を作ってもいい。例えばホダ場まで行って椎茸を摘み、宅配するとかですね」

親から「学校が終わったらナバ(椎茸のこと)取りにこい」と言われて走っていたという幼い頃の体験を引き合いに出して、私案を披露してくれた黒木さん。

価格や人手の悩みを抱えながらもそんな希望を見出している理由を「渡川の若いもんがしっかりしているから」といってにこやかに笑う。「出身の子たちだけじゃなくて、よそから連れてきてくれた奥さんたちもぼくたちと仲良くしてくれるし、本当に素晴らしい。普通ならこんな田舎は嫌だとなるところが、渡川になじんで、行事にも積極的に参加してくれるのがうれしいですよね」(黒木さん)。

どれだけ機械化が進んでも、山を守るには人の手が必要。現実の厳しさはまだまだ変わらないが、それでも渡川にはベテラン山師が希望を見出すだけの、人と人の確かなつながりがあるのかもしれない。(続く)