医師、看護師、教師…。「師」の文字が付く多くの職業は免許制であり、取得すればその職業に従事する者として通用する。ここには1年目だろうが30年目だろうが関係はない。

「でも山師は、ぼくにとっては特別なもの。今のぼくは、まだ山師とは呼べません」と、今回取材させていただいた川口竜也さん(36)が話してくれた。彼にとっての山師とはどんな存在なのだろうか。

川口竜也さん。取材美があいにくの雨だったため、撮影は「こんにちや」のカフェスペースにて

渡川で生まれ育った竜也さんは、日向工業高校に進学。そのまま日向市内にある工業系の企業に就職するが、2年で渡川にUターンする。

「渡川に帰る気がなかったわけではないですが、就職先が隣町の日向でしたし、いつでも帰れるくらいに思っていました。そんな感じだったんで、いっしょに働いていた同郷の仲のいい友達が渡川に帰ると聞いた時、自分も帰ろうと思ったんです」。竜也さんにとっては田舎と都会のどっちがよいか、というような軸ではなく、いっしょにいて楽しい仲間がそこにいるかの方が重要だったようだ。

取材時には延岡市出身の奥様との出会いまで幸せそうに語ってくれた。

とはいえ、竜也さんが就職した時代はいわゆる就職氷河期。

普通に考えれば就職した会社を2年で辞めるのはもったいない、なんて思うフシもあるが「そこもあまり深くは意識せず、地元だから何とかなるだろうぐらい思っていました。若さゆえですかね」と本人は笑う。

しかも渡川での仕事は、山師か、建築関係かのほぼ二択という状況。竜也さんはそれでも「なくなった父が林業をしていたのが頭にあって、やるなら林業かなと思っていました。でも友達がやっているわけではなかったし、本当に漠然としたイメージしかなかったです。親方に出会い、見よう見まねで始めました」と、さらり。

そんな彼がふと話を変えた。「職業は?と聞かれたとき、自分はまだ山師ではないといいます。山師とは、師匠の師という文字を使いますよね。それには実力はもちろん、30年、40年の時間をかけて目に見えない貫禄まで身につけ、すべてのことができたときに初めてそう言えるものだと思うんです」

話のトーンはそれまでと変わらないが、言葉に確かな芯が現れた。漠然とししたイメージしかなかったです。親方に出会い、見よう見まねで始めました」と、さらり。

仕事の合間のひととき。

竜也さんの仕事は木を伐採すること。伐採した木は、決められた長さの丸太を作る「玉切り」という作業を行ってから市場へと出荷する。素人からすれば一見シンプルな作業に思えるが、ほとんどが斜面である山の中で、狙ったところに木を切り倒すのは至難の技だ。「間違えれば、人が死にます。うまく切ったと思っても、ツルやカヅラが絡んできて突然方向が変わることもあるし、落石を誘発することもあります」。竜也さん自身、おぼろげながらやり方が見えてくるまでに5年がかかったというから、その難易度たるや、である。

そんな竜也さんが目標としている一人が、親方の黒木亀(すすむ)さん。50年近いキャリアをもつ大ベテランだ。

「僕たちぐらいの経験者では、見えることならできます。木を伐る、機械を操作する、という具合です。でも親方は、見えないこともできる。例えば機械の操作ひとつとってもただ動かすのではなく、いっしょにいる仲間が快適に作業するための動かし方まで見えている。僕らでは指摘されなければわからないことを、すべて体得しているんです」

亀さんは、竜也さんにこんなことを話すそうだ。
「なんでこんなおもしろい仕事をもっとたくさんの人がせんちゃろか」。そこかしこに潜む危険を知り尽くし、技という技を研ぎ澄ました先には、”山師”だけが知る格別のおもしろさがある。「同じ木は一つとしてない。それをどう倒すかがおもしろいんだと。僕はまだ、おもしろい仕事だと胸を張っていえませんが、やがてそう言えるようにこれからもやっていきたいです」

竜也さんのキャリアは15年。亀さんはその35年先をいく。山師とは、そういう仕事である。

「こんにちや」番頭の園田さんとパチリ。

第3号で取材した山師、菅原亮さんは「山って、国土の何パーセントでした? こんな資源の宝庫、使わない方がおかしいと思いますよ。優秀な人こそ、もっと山で暮らすべきです」と語っていた。林野庁によれば、日本の国土に対する森林の面積は67%。実に2/3が森林である。

しかも森林は約30年前と今を比較してもほとんど減っていない。さらには、製造時に放出する炭素の量が鉄鋼やコンクリートなどと比べて圧倒的に少なかったり、適切に更新されることによって半永久的に利用できる。循環可能な未来型の資源である森林。竜也さんのような若手が飛びこめる渡川には、可能性はまだまだあるはずだ。